コース要綱

2017演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(加藤哲理)

[講義基本情報]

教員: 加藤哲理
その他の教員: -
科目種別: 演習
開講時期: 通年
対象年次: 2年 3年 4年
開講時限: 木5
単位数: 4
必修の有無:
教室: -

 

講義概要

このゼミの目的は、政治思想史において長く古典と呼ばれてきた書物を読解することによって、これまで人類を絶えず問いへと誘ってきた根本的な事柄について、各人が洞察を深めていくことです。善き生とはいかなるものか?正しき社会はどうあるべきか?美しいものはなぜ美しいのか?真実は存在するのか?などなど。これらの問いは日常的にはっきりと自覚されているかはさておき、人間として生を受けた以上、避けることのできないものとして、私たちの人生の背後で、いつもその基調を響かせています。

このゼミの主たる活動は、過去に生きた哲学者や思想家たちを毎回ゲストに迎えながら、各人がそのような問いと誠実に向き合い、自己の存在をより深く掘り下げていくことにあります。「思想は重たく、されど人生は軽やかに」をモットーに、ユーモアと真摯さの中庸を保ちながら、他者とそのような問いを分かちあうことの真の楽しみと喜びを享受できる場所へ、皆さんと一緒にゼミを育てていければ幸いに思います。

取り扱う文献は、半期毎に主題を設定し、それを探求するのに適した書物を選択しています。過去の例を挙げれば、2013年度は前期「プラトン」後期「美・芸術」、2014年度は前期「正義」後期「愛」、2015年度は前期「教育」後期「労働」をテーマに選びました。過去の三年間で取り扱った本をいくつか例示しておくならば、

プラトン『ソクラテスの弁明』『国家』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』『政治学』、アウグスティヌス『告白』、ルソー『人間不平等起源論』、カント『啓蒙とは何か』、ベンサム『道徳と立法の諸原理序説』、ミル『大学教育について』、キルケゴール『不安の概念』、マルクス『経済学・哲学草稿』『賃労働と資本』、モリス『民衆の芸術』、ニーチェ『道徳の系譜学』、フロイト『文化への不満』、アドルノ『啓蒙の弁証法』、ヤスパース『実存開明』、アーレント『人間の条件』、フーコー『思考集成』、イヴァン・イリイチ『シャドウ・ワーク』、ハイデガー『技術への問い』、エーリッヒ・フロム『愛するということ』、チャールズ・テイラー『〈ほんもの〉という倫理』、フリードマン『資本主義と自由』、バーバー『消費が社会を滅ぼす?!』

などとなっております。

2017年度のテーマが前期が「自由」、後期が「死」となっております。具体的な文献については、皆さんと相談しながら、時代や洋の東西を問わず、狭義の政治を対象とするものに限らず、多様なものを取り上げたいと考えています。

またその他にも、初学者のために思想史の入門書を解説するサブゼミや、古典の精読や日本思想史やイスラム思想史などテーマ別のサブゼミ、一冊の小説や新書、新聞を話の種に研究室にランチを持ち寄って食べる会など、皆さまのご希望に応じながら色々な場所を2017年度も用意させていただく予定です。おそらく夏には合宿などもございます(どれもゼミ内の交流促進を兼ねたものであり、どこまでも自由参加のものです)。

※1思想や哲学にちょっぴり興味があり聴講をお考えの方がいらっしゃいましたら、来るもの拒まず去るもの負わずの雰囲気でございますので、いつでも出入ご自由に、どうぞお気軽にご参加くださいませ。

※2 担当教員は2018年度頃からの在外研究を現在計画中であり、その点をご考慮のうえで履修ください。
到達目標 世間では明確な目標を持ちなさい、ヴィジョン?をもって行動しなさい、自分がより成長するために何ができるか考えなさい、などということを盲目的に押しつける風潮がございますが、このゼミはそのような近視眼的な思考とは無縁の場所でございます。

そのような一見もっともらしいが、極めてエゴイスティックな自己実現的発想が完全に意味を喪失してしまうような絶望や不安を、真面目に直視しながら粘り強く物事を考えていく姿勢、安易に到達目標などが発見することのできないような、生きることに伴う測り知れない謎と常に向き合い続ける姿勢などなど、強いて目標を掲げるのであれば、このゼミではそのような真の意味で自らの人生に誠実に生きていく態度を養っていっていただければ幸いです。
教科書 特にありません。ゼミで扱うテクストについては、皆さまとの相談のうえで、適宜こちらから指示いたしますが、そこで語られる言葉を真に活きたものとするのは私たち自身の心の創造的な働きです。

それを忘れてしまえば、すべての言葉は自分や他人を惑わすか、あるいは眠りに誘うだけの死物となってしまうことを注意しながら、一緒にゼミという場所を生み出していきましょう。
参考書・参考資料 特にありませんが、森羅万象からなる日常そのものが皆さんに教えを説いている参考書であるということを忘れないでください。

容易に情報や知識を手に入れることができるツールが巷ではますます溢れかえっていますが、氾濫する膨大な記号の喧騒の中から自分が素朴に問うべきことを教えてくれるような真の参考書は実は、紙面上でも画面上でもなく、日ごろ疎かにされがちな自分の心のうちに静かに眠っているのかもしれません。

文明の利器に囲まれずとも、書架に厳めしい本が一冊もなくとも、この身一つさえあれば、いつでもどこでも堂々と学問しながら生死を歩んでいくことができる、そういう境地をぜひ養っていってください。
成績評価方法 基本的には各人が他人から成績を評価されることに一喜一憂することのないような、独脱無依の人間になっていっていただきたいと思っています。

ただし、それは単に勝手気ままに振舞うことや浅薄で何の根拠もない偽物の「個性」や「自分らしさ」に妄執することでなく、人間を含むあらゆる存在とのつながりの中において真なる自己のあり方をどこまでも深く探求し続けていくということでもあります。

ゼミへの参加、議論における積極性や主体性などは求められはしますが、それ以上に重要なのは、ゼミの場を離れての孤独と沈黙における真摯な内省と自己探求です。そのように己の足下を静かに見つめる姿勢を欠くならば、どんなディスカッション(とやら)や活発な発言も、ただの一過性の言葉遊びか、あるいは泥手で世界を汚す類の言葉となりうる危険がつねに隣りあわせであることをどうぞお忘れなく。

メディアが発達し、自己を表現することが容易になっているぶん、コミュニケーションやネットワークといった言葉を空念仏にしないためにも、世界に何かを発信しようとしてみる前に、発信するに足る自分であるかを内省してみることが求めれられる時代のような気もいたします。いくら世がグローバルと叫ぼうと、背負える命は小さな小さな自分のものひとつ、耳触りのいい言葉で目を眩まされぬように。きちんと周りに流されず自分で自分を見失わない眼を開いておくこと、成績評価や業績評価云々以前に、それが一番大事なことです。

ただし同時にまた、そのような自己探求や内省が偏狭な独断や現実離れした妄想の温床となることなく、真に人間らしい生きたものとなるためにも、私たちはその道筋を他者と分かちあい語りうるような場所を必要としていることも、真摯に引き受けなければなりません。ただ安易に意見をぶつけあうのではなく、真理をまえにしてお互いがお互いを照らしあう、そうすることによって私たちはより私たちの姿をより明晰に見つめることができるのです。

お互いに鏡の汚れたもの同士が、その汚れた鏡に映った姿を見せあって自他を比較して、右往左往せざるを得ないのが浮世なる娑婆世界の悲しさとはいえ、そのなかでまずは自分の鏡をきちんと磨いていくこと、そしてお互いが真実に照らして鏡の歪みを矯正しあうこと、まずはそんなことから始めてみたいものです。

そうして教員を含めて、参加者の誰しもが他者との関わりの中で自己を誠実に見つめながら生き、お互いが数値化や記号化などされ得ない人格として交わろうとする意志をもち続けるとき、目に見える成績評価などというものがどれほど意味をもつでしょうか。
履修条件 人間であれば誰でも履修できます。

しかしながら、「人多き 人のなかにも 人ぞなき 人となれ人 人となせ人」という古人の言葉にもございますように、はたして「人間である」というこの素朴な条件を真に引き受けて私は生きている、と確信をもって語りうる人がどれだけこの世にいるでしょうか。

一つだけ言えることは、いまこのような問いに答えを持っていないにしても、日常に生じた微かな隙間において、このような問いの呼び声に少しでも耳を傾けた経験のある方なら、このゼミを履修する資格があるということです。

神は存在論を必要としないというハイデガーの言葉がありますが、そのように常に問いかけとしてしか存在しえないという、人間存在が背負う十字架だけがこのゼミの唯一の履修条件になります。
その他の注意 のんびりと腰を据えて古典の意味を紐解いていくことが活動の中心になりますので、文献を入手すること以外に特に参加の要件はございません。というわけで特に注意はないのですが、このゼミで必要なことを一つあげておくとすれば、それは「他者」と「共に問う」姿勢ということになりましょう。

具体的にいえば、それは一つには「古人」と「共に問う」ことです。古典には容易にその意味を伝えてくれないような難解なものもありますが、時代を超えてそれらと対話をするためにも、その言葉に真摯に耳を傾け、それが対決している問いを粘り強く継承し、それを自分のものにしていく努力がそこでは求められます。

もう一つは、「ゼミの参加者」と「共に問う」ことです。不思議にも同じ時代に生を授かり問いを共有することになったかけがえのない存在として、まずは他の参加者の言葉に敬意を込めて耳を傾けるとともに、ユーモアや節度をもって自らの意見を他者に伝えることもまた必要になります。

そうして多種多様な「他者」たちと共に問いかけ、問いと答えの間を巡りめぐりながら自らを捉えし続けることで自己の存在を果てしなく究明していく探求の道。一見して思想や哲学というと、変わりものの趣味か小難しい概念や論理を振りかざすことと錯覚しがちですが、それは大間違い。問いかけ求めるものとして誰かと一緒に生きていかざるをえない。この人間として生命を授かったものが背負う不可避の運命を自覚的に引き受けること、それが太古からリレーされてきた思想や哲学という活動の本質でございます。

この道で待つのは答えの出ない困難な問いばかりですが、そのような謎に直面した経験はその度ごとに皆さまの存在に豊かさと広がりをもたらしてくれることでしょう。一つの問いを真摯に背負うごとに、一つまた自己が深まっていく。この学問という営みから溢れでてくる掛け値のない喜びに興味をもたれた方のご参加をお待ちしています。ゼミはあくまで限られた場所に過ぎませんが、その機会を通じて皆さんの生が無限の広がりへと開かれ、心の中に大学を保ち続けながら、一生涯かけて育てていくべき種を一つでも発見することができましたら嬉しく思います。

 

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